三木助師匠のところには、亡くなるまでのわずか半年しかいませんでしたが、師匠は食べ物には相当のこだわりのある人だった、という印象が強くあります。
たとえば、お茶、味噌、鳥のモツや塩せんべい、富貴豆などは、買う店が決まっていました。
旨いものの店はほとんど人形町で、弟子が田端から電車に乗って買いに行かされます。
たとえ電車賃がかかっても、これはあの店でなければダメ、ときちんと決まっていました。師匠はせんべいが好物で、人形町の「草加屋」に行けば、特別に師匠の紋入りで作らせた進物用の三木助のせんべいの缶がたくさんありました。その大好きなせんべいを弟子に食べられちゃいけないというので、わざわざ金庫の中にしまっていたくらいです。時々金庫から出しては、一人でパリパリとこっそり食べていました。
ある日、師匠が金庫をあけてごそごそしている時、僕が部屋のふすまをあけてしまったことがありました。
その時は師匠もさすがにバツが悪かったんでしょう。
「誰にも言うなよ」と、おせんべいを一枚大事そうに手渡してくれました。 |